2014年6月10日火曜日

異文化の接触地帯インナーモンゴリア(磯田則彦教授)

「教員記事」をお届けします。第四回は地理学の磯田則彦教授です。



異文化の接触地帯インナーモンゴリア

 こんにちは。文化学科教授の磯田則彦です。私の専門は、人口研究と異文化の接触地帯の研究です。両者ともに複合領域的な研究になりますが、それぞれに非常に魅力的な分野です。

 まず、人口研究についてですが、具体的には人口移動研究と人口問題研究が中心になります。前者については、日本・北アメリカ・北・西ヨーロッパを中心に研究してきました。人は生まれてから死ぬまである場所に定住し、一切別の場所に移ることがなくてもよいのでしょうが、実際にはライフステージの要所要所で移動を行う人が大勢います。果たして、「その人たちは、どのような属性で、どういった理由で移動を行うのでしょうか?」。以前から、そんなことが気になってしまいます。
 また、後者については、非常に大まかな表現を許していただければ、「人口が停滞から減少へ向かいつつある社会」(現時点では、概して先進諸国の一部や東欧諸国に多く見られます)や、「短期間に人口が急増している社会」(概して、後発開発途上国とイスラーム諸国に多く見られます)を対象として研究を行っています。出生と死亡に影響を与える社会経済的要因や政策などが中心的なテーマです。

 次に、異文化の接触地帯の研究ですが、このトピックスについては文化学科に所属し、専門のゼミや講義を担当し、学生諸君の卒業論文の指導を行う中で身近になってきた分野と言えるかもしれません。今回は、私のフィールドの中から「インナーモンゴリア」について簡単にご紹介させていただきます。

 ご存じのとおり、インナーモンゴリアは中国とモンゴルの国境地帯のうち中国側を指す地名です。人口はおよそ2,500万人で、8割近くが漢族、2割弱がモンゴル族という人口構成です。面積は日本のおよそ3倍という広大さです。このアーティクルをご覧の皆さんにとっては、「大草原の広がる牧歌的な雰囲気」が想像されるのではないでしょうか。


 ただ、実際に訪れてみると、そこには大草原もあれば、大きな山脈や複数の(日本人の私にとっては広大な)砂漠、大河も存在しています。一方、中心都市の呼和浩特は、モンゴル語で「青い城」を意味する(路線バスには「青城」の2文字が躍っています)、近代的なビルが林立し、非常に立派な空港・博物館などを有する大都市です。そして、この街の至るところに見られる漢字とモンゴル文字併記の看板や、チベット仏教の寺院、回民たちが建てたイスラム様式の建築物などに異文化の接触地帯としての一面を見てとることができます。




ところで、みなさんはモンゴル文字を見たことがありますか?なかなかユニークで、素晴らしいですよ。現地のモンゴル族の方たちは、文化的なアイデンティティが失われていくことを危惧し、自己の文化継承を強く意識して、お子さんたちの学校教育においてモンゴル語や文字が学べるところを積極的に選択する方が多く、かなり遠方にある学校まで親御さんが送迎されています。このようにして、文化が継承されているのですね(ご家庭は言うに及びませんが)。

さらに、ここの食文化も接触地帯としての特徴をよく表しています。ナイチャーと羊肉料理に代表されるモンゴル料理に、北方を中心とした漢族の料理が加わった構成です(注:そもそもナイチャー自体がミックスされたものですが)。いずれも絶品です。
 
ところで、言われてみればすぐに気づくことなのですが、このインナーモンゴリアは長城の外側に広がっています。周知のとおり、長城は秦代以前から築きはじめられた北方騎馬民族に対する漢族の防衛ラインです。悠久の歴史を思い描いた時、このラインを挟んだ内と外でどのようなドラマが繰り広げられてきたのでしょうか。「ワン・ジャオジュィンの物語」を思い起こされる方も多いはずです。さまざまな形態が見られるはずですが、「文化の融合」ということを強く意識せずにはいられません。


 大草原には羊の群れが遊び、ヒマワリたちが咲き誇る季節。地平線が見えるこの広い広い大地では、どこに雨雲があって、どこで雨が降っているのかも一目瞭然です。この異文化の接触地帯の大自然と人々の思いを載せた、マートーチンが奏でるドゥドゥマーの歌を聴きながら大草原を駆け抜けていく。私にとって、現在、最高のフィールドです。(終)


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