2014年9月30日火曜日

岸根ゼミ旅行記 (北﨑裕美、佐藤祐子、中川詩織)

 学生による記事です。今回は岸根ゼミ(神話学・宗教学)のゼミ旅行について報告します。鹿児島県の霧島神宮に行かれたそうです。

 
 初めまして。文化学科4年生の北﨑、佐藤、中川と申します。私たちは、岸根敏幸先生が開講している宗教学に関するゼミに所属し、日本神話について学んでいます。今回は、3年間岸根先生のゼミを履修した先生曰く「物好き」な三人が、縁あって学生記事を書かせていただくことになりました。

 皆さんは2年生になるとゼミに所属しますが、ゼミ旅行にはもう行かれましたか?私たちのゼミでは、日本神話についてより理解を深めるため、学生が中心となって日本神話に縁のある土地を見学するゼミ旅行を企画し、今年は9月3日(水)に教員1名、学生9名の総勢10名で鹿児島県の霧島神宮へ行きました。(昨年は、台風により中止になりましたが、一昨年は広島県の厳島神社へ行きました。)

 霧島神宮は、天孫降臨の主人公であるホノニニギを祀った神社です。創建は6世紀と言われ、最初は高千穂峰と火常峰の間にある背門丘に建てられていたそうですが、霧島山の噴火により焼失と再建を繰り返し、約500年前に現在の場所に鎮座されました。また、島津藩からの信仰も篤く、現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩主)島津吉貴が寄進したものです。他にも、霧島と言えば坂本龍馬が日本で最初と言われる新婚旅行で訪れたことでも有名ですよね。

 さて、話をゼミ旅行に戻しますが、朝8時半に大学を出発し、3時間ほどかけて目的地である霧島神宮へと向かいました。バス内では、学生が企画したビンゴ大会やカラオケ大会で盛り上がり、移動時間の長さを感じさせないほど楽しい時間を過ごすことができました。昼食は「道の駅霧島」として親しまれている霧島神話の里公園で名物の黒豚を使った料理を味わいました。


 霧島神宮に着いてからは、一の鳥居(大鳥居)から二の鳥居、三の鳥居の順に鳥居をくぐって本殿を拝観しました。朱漆塗りの社殿は、豪華絢爛を表しているかのようですよね。特に本殿は、柱や梁など全て朱漆塗りで、要所に飾り金具による装飾や壁には極彩色の浮き彫りを施した羽目板など内部まで豪華に装飾されています。神社建築では、このように外部だけではなく内部にまで装飾を凝らすことは珍しいため、「西の日光(東照宮)」とも呼ばれているんですよ。

 また、三の鳥居の横には、国歌に詠まれている「さざれ石」があります。さざれ石とは、元々小さな石同士が、長い年月をかけてくっつき大きな石になったものです。この石は、国歌発祥の地と言われる岐阜県揖斐川町春日村の山中で発見されたものだそうです。

 拝観後、おみくじの結果にそれぞれ一喜一憂しながら、私たちは霧島神宮境内の西へと移動し、旧参道である亀石坂(坂の中ほどに亀にそっくりな石があるためそう呼ばれています)を下って、御手洗川へと向かいました。

 実は、霧島神宮周辺には「霧島七不思議」というものが伝わっています。神様との約束を守らなかった亀が岩にされてしまったという「亀石」、岩の隙間から微かな風が吹き、その奥を見ると石の観音様が微笑んでいたという「風穴」、誰もいない真夜中の社殿から神楽の音が聞こえるという「夜中の神楽」など、神秘的な伝説が今もなお語り継がれています。

 「御手洗川」もその一つで、11月~4月頃までは殆ど枯れていますが、5月頃からものすごい勢いで大量の水が湧き出るそうです。この御手洗川には、ホノニニギが天孫降臨の際に高天原から持ってきた真名井の水が混じっていると伝えられており、非常に水が澄んでいます。

 参拝後はお土産を買わなくては!ということで、皆で霧島神宮でしか購入できない鉾餅というお菓子を買いました。鉾餅とは、天孫降臨の話の中で登場する「天之逆鉾」に由来した御神饌の鉾餅にかたどった俵型のお菓子で、粒あんを求肥で包み、それにシナモンをまぶしたものです。こういったその土地にちなんだものを皆で食べるのも、ゼミ旅行の楽しみの一つと言えます。

 また、霧島神宮のロータリーにある「霧島天狗館」を見学したり、足湯に入ったりして霧島を満喫しました。「霧島天狗館」は、霧島神宮秘蔵の九神の面に由来する霧島文化をお面を通して紹介する施設で、天狗のお面をはじめとする世界各地のお面が展示されています。地域や職人による違いが分かって非常に興味深い展示内容でしたよ。

 大学に帰った後は、七隈近辺で宴会をしました。ゼミ旅行や今後のゼミについて話しつつ、先生が大好きなダンゴ虫の魅力や先生の試験に度々登場するハムちゃんの話などお酒が入っている時にしか聞けない先生のはじけたお話は本当に面白いです。

 最後の方は完全に余談になってしまいましたが、以上が霧島神宮のゼミ旅行体験記でした。霧島神宮の魅力についてまだまだ紹介したいことはたくさんあるのですが、百聞は一見に如かず。直接、足を運んでいただき、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味わい、肌で感じることをおススメします!

LC11台 北﨑裕美、佐藤祐子、中川詩織

2014年9月28日日曜日

オープンキャンパススタッフに参加して(LC11 坂口 早紀さん)

学生さんによる記事です。八月に開催されたオープンキャンパスの学生スタッフをしてくれた坂口 早紀さんに執筆していただきました


オープンキャンパススタッフに参加して


 8月9日(土)にオープンキャンパス2014が開催され、今回文化学科のスタッフとして参加させていただきました。



 各学部学科ごとに教室が割り当てられていましたが、文化学科は入口に学科を象徴するような大きな看板を掲げ、また教室の中には文化学科の説明のほかに、先生方の紹介や各ゼミでの取り組みの紹介、卒業論文のテーマや論文冊子の展示、また就職先や進路を示した紙も展示し、さらに先生方の紹介したムービーも上映し、見るだけで文化学科が何を勉強しているかがわかるような個性的な教室をスタッフ一丸となって作りあげました。




 文化学科を訪れた高校生に声をかけると、大学で何をしたいか、将来どんな職に就きたいか、などまだ明確な目標が見つかっていない人も多かったのですが、私の高校生の頃も同じ状況だったので、少しでも好きな教科や興味のある学問は何か?などの質問をしました。また、私自身がなぜ文化学科を選んだのかという話をすると共感してくれる高校生が多く、初めは緊張した様子の高校生もしだいに積極的に質問してくれるようになったり、他学部に行こうかと考えていたけど文化学科を受験します!!と宣言してくれた子がいたりと、嬉しい反応が多かったです。



 また進路相談コーナーでは、先生方が親身に高校生の相談に乗っており、最初は不安げな表情の子がすがすがしい笑顔で帰っていく姿も見られ、深く印象に残っています。



 今回の体験を通じて、自分が約3年半過ごした学科であるにも関わらず、いざ文化学科を説明するとこんなに難しいとは思っていませんでした。ですが、私も高校3年の夏までは他学科を志望していましたが、オープンキャンパスに行って文化学科の先輩の説明や熱意に心を動かされて文化学科に決めました。あのときの先輩が話されていたことを思い出しながら、文化学科のことを高校生に語ることで、だんだん自信がわいてき、しだいに文化学科に対するアイデンティティを感じるようになったことは貴重な体験でした。




 また、オープンキャンパスは、高校のときの文化祭のようで懐かしく、あのワクワク感と達成感は1ヶ月以上経った今でも忘れられません。学生最後の夏休みの良い思い出となりました。

LC11台 坂口 早紀

2014年9月24日水曜日

権威への服従:心理学の文脈での「ハンナ・アーレント」(佐藤基治教授)

「教員記事」をお届けします。第十二回は心理学の佐藤基治教授です。


権威への服従:心理学の文脈での「ハンナ・アーレント」 

 9月27日土曜日の午後、小笠原先生と宮野先生の企画で「『ハンナ・アーレント』でかたらんと?」というイベントが開催される。「哲学カフェ」、あるいは、「映画de哲学」という表現もあり、映画を素材に皆で議論するという企画だ。そのハンナ・アーレントは一般的には哲学者、思想家というカテゴリーで登場するようだが、心理学においても、社会心理学の「権威への服従」という領域で登場する。

 アーレントは、ナチス・ドイツによる民族大虐殺に関連して、「アドルフ・ヒトラーは,おそらく精神的に正常ではなかったであろうが、単独で大虐殺を遂行することはできなかったはず」であり、虐殺に関連した『日常業務』を行った人々は、ヒトラー同様に、異常だったのだろうかと考えた。アーレントは,著書の中でナチスの戦犯アイヒマンを,「自分を大きな機械の小さな歯車だと思っている鈍い普通の官僚」と言い表し、上官の命令に従う平凡な人々にすぎないと結論づけている。アーレントは,「私たちのすべてがこのような悪をなし得るかもしれないし,また,ナチス・ドイツというものが,私たちが思いたがるほど,正常な人間の状態から大きくかけはなれてはいない」とも述べている。「ある特定の状況では,最も普通で礼儀正しい人でも犯罪者になることができる」と考えたのである。

 アーレントの結論は一般には受け入れられ難いものであった。アーレントは「アイヒマンは,普通の官僚であり、命令に従っただけ」と表現したが,歴史家たちは「アイヒマンはナチスでの経歴を普通の人物として開始したかもしれないが,次第にナチス活動に同一化していき,ユダヤ人の国外追放と殺害の独創的な新手法を考案しては承認と人気を得る大虐殺者へと変身した」と考えている。社会心理学者からも同様の異議が申立てられている。邪悪な状況が邪悪な行動をもたらすという古典的な主張に,個々人が集団と同一化し強力な状況を形成するようになる,あるいは自身が強力な状況に形成されるようになる,そのなされ方の相互作用を加味して考慮すべきであるという異議である。一方には人々の自己同一性,目的,欲望があり,もう一方には人々が身を置く刻々と変化する状況がある,その両者の間の動的な相互作用を研究することが,社会心理学で行われている研究と議論のテーマである。

 そのような行動を生じさせる状況の力を説明するもっとも有名な研究は,1960年代にミルグラムによって行われたものである。彼の研究は、ある課題の失敗に対する罰として他人に与える電気ショックの強さをどこまで強くすることができるか、すなわち普通の人間がどこまで残虐になりうるのかを明らかにするものであった(電気ショックを与えられる人は役者であり、電気ショックを与えられたふりをしているだけである)。ミルグラムの実験では、65%の参加者が一連のショックの終わり(電気ショックの影響が「XXX」と表示された450ボルト)まで与え続けた。電気ショックを与えられる役者は300ボルトを与えると壁を蹴り始め、中止を求める演技をするが,それより前に止める参加者は一人もいなかった。
 
 ある研究者は別の大学生に実験の手続きを説明し「あなたなら何ボルトまで電気ショックを与えますか」と調査をした。結果は約99%の学生が300ボルト以上の電気ショックは与えないと答えた。ミルグラムは、精神科の医師に調査を行い,「ほとんどの参加者は150ボルトに達した後は続けることを拒み,約4%しか300ボルトを越えず,1%未満しか450ボルトまでやり遂げはしないだろう」という予想を得た。しかしながら、実際に実験を行うと前述のような結果が得られるのである。

 ミルグラムの研究は、人はどこまで残虐になれるという問いにとどまらず、明白な服従の程度を私たちが見抜けない理由、権威への服従に関与する要因へと展開する。前者は基本的な帰属の誤りと呼ばれ、人々の行動は人々の内的な資質,すなわち願望と人格を反映していると決めつけ、状況が私たちに及ぼす力を過小評価する傾向があるとするものである。後者はいくつかの要因が状況の力と強く関連しているというものである。この状況の力に関する話はさらに興味深いものであるが、それはまた次の機会にする。今回のブログは、ある学問領域で取り上げられた問題を、その領域で深化させることは当然有意義なことであるが、異なる学問領域から眺めてみたり、異なる領域での知見を借用して解釈してみることは、斬新であったり、的外れであったりして、いずれにしても知的な好奇心を刺激してくれるものであることを述べたかったのである。哲学の人が持ってきた問題に他領域の人間が口を挟む、様々な領域を足場にしてちょっかいを出す、これが文化学科の「文化の多角的理解」なのかもしれない。

参考文献
Susan Nolen-Hoeksema , Barbara L. Fredrickson(2014) Atkinson & Hilgard's Introduction to Psychology, 16e

※管理者注:冒頭で紹介されているように、今週土曜日(27日)に、学内で『ハンナ・アーレント』の映画上映会が催されます。参加無料です。ぜひふるってご参加ください!(告知記事はこちら


2014年9月16日火曜日

年寄り趣味で申し訳ありませんが(小林信行教授)

「教員記事」をお届けします。第十一回は古代哲学の小林信行教授です。


年寄り趣味で申し訳ありませんが(小林信行教授)

 年寄り趣味丸出しで申し訳ありませんが、小説にせよ劇にせよ、いわゆる時代ものを好んで読んだり観たりすることが多いこのごろです。本当は洋の東西を問わないのですが、気楽にしたい場合はどうしても日本のものが中心になります。ただし古代ものとか戦国時代や幕末時代にはあまり興味はなく、むしろどちらかというと武家社会が形成されて平和で安定した江戸時代ものに限られており、きわめて狭い興味かもしれません。それでも年長者の需要を考慮してか、かなり多くの作品が提供されており、眠りに就く前のひとときを楽しませてくれます。

 ただ残念なことに、現代ではファンタジーものが商売とされたり、あるいはCGなどが駆使された映像が作られて辟易としてしまうことが多いので、期待を満たしてくれるような小説や劇に出会うことはあまり多くはありません。アナログ時代のものはどうしてもそれなりのリアリズムを求めたくなります。たとえばとうの昔に既婚婦人のお歯黒が省略されて演出されるようになり、時代劇の与えていたある種のグロテスクさがすっかり失せてしまったり、もっと意識して丁寧に描かれるべき身分制度もデモクラシーの波に飲み込まれてしまい、いたずらに女性が活躍する物語りになってしまうと、もはや単なる娯楽や現代イデオロギーの喧伝以外なにものでもないように思われます。風俗や身分制度ばかりではなく、それぞれの時代にはそれぞれの制約や条件や約束事や前提が無数にあり、その緊張の中で苦労して生きぬいてゆくところを丁寧に描く点に時代ものの醍醐味もあるし、そこから学ぶべきことも多いのではないかと思っています。

 自分の周囲に幾重にも張りめぐらされた網の目のような複雑で窮屈な社会制度や人間関係と向き合って生きるしかない時代では、そこから無理に逃れ離れようとすると直ちに命がけとなってしまう場合もまれではなかったと思われます。恋愛関係ひとつを取ってみてもそうでしょうし、仲間との些細な諍いさえもすぐに決闘や自決にまで発展してしまうのですから。もちろん、現代でも似たような状況ではないか、と言われるかもしれません。そのように指摘するひとは現実をよく見ているほうではないかと思います。なにも死ななくてもいいではないか、もっと別の生き方だってあるのに、というのが多様な生の可能性を提供されている昨今の一般的な感覚でしょう。たしかに腹切りや心中といった行為は、それなりの説得力をもたなければ不合理や狂気と見なされます。しかし他面では、どこかでそのような緊張感を伴う生を送っていなければ、ひとはただ生きることに執着したり、享楽に耽る人生を送ることになりかねないとも思われます。なんの心配もない平和な時代に人のいい仲間と楽しく面白く好き勝手に生きている状況は、劇や小説に仕立てられてもすぐに退屈してしまいそうです。日曜日の夕方はみんなでホームドラマ・アニメを見て笑っているという一家団欒の図式は平和の象徴にはなるでしょうが、自家中毒症状にも似た閉塞的な印象もまぬがれません。

 安穏とした環境で命や生それ自体をたたえることとは、なにか美的雰囲気をかきたてるところがあります。しかしやはり現実から目を背けていたり、あるいは数世紀前のヨーロッパ思潮の古色蒼然たる信念に囚われている可能性もあります。私たちと同じように繁栄する社会に生きていたと思われる古代ローマ人でさえギリシアから受け継いだ「自らの分を知れ」「死を思え」という格言を大切にしていたようですが、生成消滅の必然についてしっかりした認識をもっていたのではないでしょうか。ここで悲観論を主張したいわけではありません。むしろひとが生きてゆくときにどのような選択をするのかという問題です。捕食動物に狙われた脆弱な動物たちはいつも悲鳴を上げ平穏な世界を願うでしょうが、同時にそのとき自分を犠牲にして子供を逃すかそれとも我先に逃げ出すかの大きな岐路にも立たされます。TVで紹介されて有名になったアメリカ人研究者の白熱教室でも類似的な難問が提示されていました。ある線路上で保線工事をする五人の労働者のところにブレーキが故障して暴走する電車が近づきます。運転手であるあなたは、そのとき脇にある待避線に気づきます。しかしその線の先にも仕事をする一人の労働者がいました。さてあなたはどちらの線を選びますか。これはひとを困惑させるためだけの知的遊びやパズルでしょうか。いや、どこかで私たちが遭遇している現実であることを忘れるべきではありません。アリストテレス的言葉づかいにならえば、私たちの願望は現実を無視することもできますが、選択は生成消滅する現実的諸制約の中でなされる、ということです。

2014年9月15日月曜日

『ハンナ・アーレント』で かたらんと?(入場無料)

今月末、27日の土曜日の午後に図書館多目的ホールで、 標記のイベントを開催します。

映画「ハンナ・アーレント」を上映し、その後、映画を素材にして皆で議論する企画です。参加費無料。

ハンナ・アーレントとは、政治哲学の分野でいまなお大きな影響を与える20世紀の女性思想家です。同じくドイツ出身の著名な哲学者マルティン・ハイデガーとの危険な関係も映画では描かれているとか!?

企画者は小笠原先生と宮野先生です。なお、ゲストとして、アーレント研究者で哲学カフェの専門家、椙山女学園大学の三浦隆宏先生をお迎えいたします。

映画をきっかけにして自由に語りましょう!


『ハンナ・アーレント』で かたらんと?(入場無料)
2014年9月27日(土)
@福岡大学付属図書館多目的ホール
13 時~15 時半 映画『ハンナ・アーレント』上映会
16 時~17 時半 映画をもとにみんなで語ろう! (ナビゲーター:椙山女学園大学 三浦隆宏先生)

2014年9月3日水曜日

鎌倉に行こう(岸根 敏幸教授)

「教員記事」をお届けします。第十回は宗教学の岸根 敏幸教授です。


鎌倉に行こう

 鎌倉は私にとって特別な場所です。史跡や社寺を巡るのが好きなので、もちろん京都や奈良もとても気に入っているのですが、好きな町を一つだけ挙げるとすれば、多少迷ったあとに、鎌倉を挙げることになるでしょう。その主な理由は次の通りです。

 まずは近くにあったということ。長いこと横浜の南部に住んでいて、鎌倉は目と鼻の先でした。それほど頻繁に通ったわけではないですが、色々な思い出がある場所なのです。つぎは源頼朝が好きだということ。小学生のころ、あの端正な肖像画に魅了されて(ただし、頼朝を描いたものではないとする説が出て、今では論争になっていますが)、私は日本史(特に奈良~平安時代)大好き少年になっていました。頼朝は弟の義経を死に追いやるなど、冷酷非情な人物として、あまり良くは言われないことが多いです。たしかにそういう側面があったかもしれませんが、父義朝の仇である平家を討ち滅ぼし、頼義、義家という遠祖の見果てぬ夢であった陸奥の覇権を握り、雪辱を見事に果たしました。自らに課せられたほとんど実現不可能とも思われる使命を、ここまで鮮やかに実行してみせた人物が他にいるでしょうか。そしてさらに、歴史の大きな流れからみれば、頼朝は、時代の要請として、多くの犠牲を払って、その後600年以上も続く武士の世を生み出した立役者と言えるのです。

 ということで、私は鎌倉が好きなのですが、それが高じて、数年間、実際そこに住んでいました。平成12年に、縁あって福岡大学に赴任することになりますが、そうならなかったならば、いまだに住み続けていたかもしれません。ただし、観光地は観光で行くべきところであって、住むべきところではないというのが率直な感想です。

 鎌倉には史跡はもとより、たくさんの神社や寺院などがあり、訪ねてみたい場所は無数にあります。毎年、夏に訪れては、自らの研究に関わる調査も兼ねて、それらを少しずつ巡って行くのが楽しみになっています。そのいくつかを挙げてみましょう。
 まずは鶴岡八幡宮(→写真)。九州の宇佐を発祥地とする八幡神は、様々な変遷を経て、ついには武士の都とも言える鎌倉に鎮座されました。鎌倉の中心に鶴岡八幡宮を据えたその雄大な町づくりは、武士の世の到来を飾るに相応しいものです。なお、その東にある大倉山には頼朝が眠るお墓があります。

 つぎは円覚寺(→写真)。建長寺と並んで、鎌倉を代表する寺院です。その境内をしばらく行くと、別世界に入ったかのような静寂に包まれます。ここは私が敬愛してやまない夏目漱石が坐禅を試みた場所でもあります。小説『門』にはそのときの体験が生かされています。つぎは東勝寺跡。ここは立ち入ることができないようになっています。新田義貞軍の攻撃で追い詰められた北条氏一族数百名が自害した場所と言われています。この世に行き場を失い、一族そろって死出の旅路へと向かう彼らの思いはどのようなものであったでしょうか。なお、そのすぐそばに北条高時が最期を遂げたと伝えられる腹切りやぐらがあります。昼でも人の気配がなく、場所が場所なので、一人で行かない方がよいかもしれません。
 つぎは江の島。鎌倉市ではなく、隣接する藤沢市にあり、海水浴や観光で若者が多く集まる有名スポットですが、この島全体が宗教的な聖地のようになっており、宗像の三女神(タキリビメ、イチキシマヒメ、タキツヒメ)やそれと習合した弁天、さらにその弁天を恋い慕った龍神(→写真)などを祭る社が多数あります。社寺巡りに興味がある人なら、一日中見て回っても飽きない場所でしょう。

 あと最後に、ちょっと異色ですが、江ノ島(この場合、「江の島」とは表記しない)電鉄の極楽寺駅(→写真)も挙げておきたいです。昔、鎌倉を舞台にした「俺たちの朝」(昭和51~52年)という人気の青春ドラマがありました。私自身はリアルタイム(あるいは再放送?)で見ていたとき、それほど興味を覚えなかったように記憶していますが、それから数十年後、ケーブルテレビで放送されているのを視て、改めてそのすばらしさに気づき、感じ入ってしまいました。極楽寺駅で織りなされる人間模様と、町に溶け込んでゆったり走る江ノ電の光景が実に印象的で、このドラマに感動した人にとって、そこは現実とドラマが相半ばする特別な場所なのです。

 以上、思いつくままに色々と述べてしまいましたが、それでも鎌倉の魅力についてほんの少ししか紹介できていない気がします。百聞は一見に如かず。東京方面へ行く機会があったならば、ぜひとも鎌倉に足を伸ばして、その魅力に触れてほしいです。


卒業論文中間報告書について

LC11台以前の文化学科卒業論文提出予定者 各位

卒業論文を提出予定の文化学科4年生は、

9月22日(月)から9月26日(金)

の間に、卒業論文中間報告書を人文学部事務室窓口の向い近くにあるレポート提出ボックスに提出してください。
報告書の体裁や分量などについては、指導教員の指示に従ってください。

以上

教務・入試連絡委員 植野健造・池田 浩 
問い合わせ先:池田浩(ikedahアットマークfukuoka-u.ac.jp)