2015年3月2日月曜日

ハンセン病回復者の上野正子さんをゲスト・スピーカーにお招きして (本多康生 専任講師)

「教員記事」をお届けします。第二〇回は社会学の本多康生 先生です。



ハンセン病回復者の上野正子さんをゲスト・スピーカーにお招きして

本多 康生

私は、社会学の立場からハンセン病問題の研究に携わり、約15年になります。この記事では、共通教育科目の社会学Aの授業で、ハンセン病回復者の上野正子さんをゲスト・スピーカーにお招きした時のことを書きたいと思います。上野さんは1927年に沖縄県の八重山諸島で生まれ、1940年に13歳で国立ハンセン病療養所星塚敬愛園(鹿児島県鹿屋市)に入所し、以後70年余りを療養所で生活されています。1998年に国を相手にハンセン病違憲国家賠償訴訟を提訴し(第一次原告)、園内の強い反対の中、原告活動を続けられました。全国に支援が広がった結果、20015月に熊本地裁で全面勝訴し、国が控訴を断念しました。裁判を機に生じた園内の軋轢も概ね解消した現在は、敬愛園入所者自治会副会長を務め、語り部活動等で多忙な日々を送っておられます。私は11年前に敬愛園での調査で知り合って以来、交流続けています。
読者の皆さんはハンセン病についての知識があまりないでしょうから、まずハンセン病の医学的・社会的側面について解説します。

1.ハンセン病とは
ハンセン病はMycobacterium leprae(らい菌)による慢性の細菌性感染症で、発症力は弱く、治療法として多剤併用療法(MDT, Multidrug therapy)も普及しているため、社会衛生水準の高い国では公衆衛生上の問題とはなりません。現在、日本人の発症者ほとんどいません。なお、世界的には、発展途上国を中心に年間約21.5万人の新患が発生しています。早期治療によって、知覚麻痺や機能運動障害(顔面神経麻痺、視覚障害、上下肢の変形・欠損)などの後遺症・二次障害の発生を予防できます。

2 .隔離政策とは?
日本では、19091996年まで、「らい予防法」(1953年改正施行、1996年廃止)などにより、ハンセン病を患った人を療養所に隔離する政策が採られてきました。ハンセン病と診断された人は、家族や地域社会から引き離されてハンセン病療養所で生活することを余儀なくされました。この政策は、1940年代から在宅での外来治療を推進してきたWHOなどの世界的潮流と大きく異なっていました。国立療養所の入所者は、1960年代後半まで、所内労働や不妊手術(断種・堕胎)を強制され、基本的人権を奪われてきました。2001年に国家賠償訴訟で原告が全面勝訴し、国と和解したことにより、被害を回復するための経済的・法的・社会的措置が採られるようになりました。2009年には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が施行され、入所者や退所者を隔てなく地域社会に迎え入れることが、私たち一人ひとりに強く要請されています。
現在も全国14箇所の国立・私立療養所で入所者約1800人が生活し、退所者(社会復帰者)と療養所に入所したことのない非入所者を合わせて1950人が、地域で生活しています。これらの人々は完全に治癒していますが、家族・社会関係の疎外などの大きな問題を依然として抱えています。

3 .上野正子さんの講話から感じたこと
授業では、上野正子さんに約250名の学生達に対して「偏見差別のない社会を願いつつ」と題したハンセン病問題の講話をしていただきました。
上野さんは、13歳で療養所に入所した際の父親との哀しい別れや、夫の清さんとの結婚生活、国賠訴訟に参加し勝訴したこと、さらに高等女学校時代の同窓生達がひめゆり学徒隊に入隊し沖縄戦で犠牲になっていたと最近知ったことなどを話されました。そして、人は誰しも使命を帯びており、勝訴を機に入所以来使用していた偽名から本名に戻り「人間回復」をした自分は、語り部として活動を続けることで様々な出会いをし、充実した生を送っていると、力強く証言されました。大多数の学生はこれまでハンセン病問題と接する機会がほとんどなかったわけですが、自らの苦しみや喜びを包み隠さず語られた上野さんの生き様に強く心を打たれた様子でした。
講話の最後に、上野さんは八重山の民謡を熱唱されました。その姿を見て、私は20043月に敬愛園に長期逗留していた際、園内の交流会館で小学校の子ども達に上野さんが話をされたことを思い出しました。その時は、入所するまでの道中でお父さんに初めて食べさせてもらったカレーの味や、療養所内の反対を押し切って訴訟に立ち上がった裁判の苦労の逸話が中心でした。御礼に、子ども達が立ち上がって皆で「ふるさと」を歌うと、上野さんは頭を垂れ、感動した面持ちでじっと聴いておられた姿が印象に残っていますあの子ども達は、ちょうど学生達と同じ年齢になっているはずです。れから10の歳月を経て、お話の構成も変わり、上野さんは歌を贈る側になっておられました。上野さんはただ齢を重ねるのではなく、人としての自信を回復し、様々な出会いを積み重ねながら、「人間回復」のその先を歩んで来られたのだと感じ、胸が熱くなりました。

学生達には、課題として講話の感想文を提出してもらいました。社会学を履修するまでハンセン病問題をよく知らなかった彼らが、上野さんの姿に共感し、見知らぬ他者の問題ではなく、自身の問題として真摯に向き合い、何ができるかを論じていました。学生達にとって、人権や社会的差別についての思索を深める一助になったことろうと思います。

※本稿は、『「特定非営利活動法人ハンセン病問題の全面解決を目指して共に歩む会会報』第23号に掲載した原稿大幅に加筆修正したものです。



講話をする上野正子さん

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