2015年12月27日日曜日

第11回「マンガde哲学」開催

今月9日水曜日、LC哲学カフェが開催されました。報告を怠っている内に、気づけば年末……。

さて、参加者は学生諸氏が6名、教員が3名。今回の素材は、岡崎京子の『ヘルタースケルター』。主人公のりりこが「忘れられるって死んでるのと同じよね」と涙を流す一方、ライバルの吉川こずえは「5年たったら/きっとあたしのことなんてみんな忘れてる/むしろそのことのほうがたのしみです」と語る。この違いを確認するところから、議論がスタート。

忘れられるのと死んでいるのは同じかどうか。つまり、誰にも覚えられていないのは、死んでいるのと同じ? 逆に、物理的に死んでも本当に死んだわけではなく、某マンガでも述べられているように、人が死ぬのは「人に忘れられた時さ」……?

自分が死んでも誰かに覚えていてほしい? いや、むしろ忘れられたい、という意見もあれば、死んだ後は忘れられても構わないが、生きている間は覚えていてほしい、という意見も。良いことも悪いことも覚えておいてほしいのか、良いことだけを覚えていてほしいのかについても様々で、さらに、自分は忘れられたくないと思っても、生き残る人に「忘れないで」とは言わない、との発言も。

他人が自分を忘れる場合と、自分が自分を忘れる場合との違い。記憶と想起の区別。存在とは何か、消滅とは何か。テレビから消えるアイドルたち、大学から消える大学生たち……。同窓会の通知、寿命、謎の手紙、神、整形、等々に話が広がっていく中、時間切れで終了。

さて、次回は年明け早々、1月6日水曜日に開催の予定です。新しい一年、LC哲学カフェでも色々と、新しい試みを。このブログでの告知記事を御参照の上、ぜひ御参加下さい。

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