2016年7月7日木曜日

熊本地震被災地の西原村で学生達と足湯ボランティアに従事して(本多康生先生)

本多康生先生が、熊本地震被災地へ学生さんを引率してボランティアに参加されました。その報告です。
 

 熊本地震被災地の西原村で学生達と足湯ボランティアに従事して 

本多康生(社会学

  5月21日(土)に学生11人を引率して、熊本地震被災地の西原村で足湯ボランティアを実施した。西原村は、阿蘇外輪山西麓に位置する人口約7000人の小さな自治体である。主要産業は甘藷(唐芋)・里芋栽培などの農業や牧畜業で、熊本市のベッドタウンとして人口は増加傾向にある。4月16日の本震で大きな被害を受け、2652棟の住宅のうち全壊497棟、半壊1253棟、避難者は最大で1809人に達した。5月19日時点で692人が5か所の避難所で生活していた。

 以前のゼミ研修の経験から、事前学習が不十分では成果が乏しいことを痛感していたので、学生が自分なりの問題意識やテーマ設定を持てるよう、足湯に関する論文の輪読や西原村の学習会をあらかじめ行った上で、ボランティアに臨んだ。

被害の大きかった集落を歩いて
 西原村では、被災地NGO恊働センター(神戸)の増島さんの案内で、被害の大きかった集落を歩いた。村内を走る布田川断層帯は以前から危険視されていたようだが、断層上の家々は大きく壊れ、石垣なども崩れ落ちていて、大変な惨状だった。断層から少し離れた地域では屋根瓦の被害程度で留まった家も多く、村内でも被害の格差が大きかった。応急危険度判定で「危険」を示す赤紙が貼ってあると、ボランティアは片付けに入れないため、ジレンマを抱えているようだ。村道の一部も土砂や崩れた石垣で塞がり、通れなくなっていた。各家屋では、大勢のボランティアが瓦礫類を運び出していた。

足湯の意義
 西原村災害ボランティアセンターの2階で、サークル状に椅子を並べ、2人1組でボランティアと被災者の役になり、足湯の練習をした。足湯は被災者の足を洗うのではなく、お湯を張った盥に足をつけてもらい、ボランティアが手や腕を順番に揉みほぐしていく。避難所で張りつめた生活をしている被災者はやがて開放感を覚え、自然とボランティアに抱え込んでいる思いを吐露する。ここで被災者の語った言葉を、足湯ボランティアでは「つぶやき」と呼んでいる。

 
  極寒の阪神・淡路大震災の際に、お風呂に入れず震えている被災者に対して、避難所の通路で被災地NGO恊働センターが足湯を提供したのが始まりである。最初はノートに被災者の「つぶやき」を記録していたが、新潟県中越地震や能登半島地震などを経て、東日本大震災では足湯を提供した後に、1枚の「つぶやき カード」に一人の被災者の「つぶやき」とボランティアの感想を記すようになった。最終的に延べ16000枚に及ぶカードを研究者が分析した(似田貝・村井 編 2015)。足湯は、被災者に対するケアの意味だけでなく、「つぶやき」を記録することで、ニーズ調査ではわかりづらい被災者の本音を知り、行政や諸団体 の支援に繋げていくことに狙いがある。

村民体育館避難所
 私達は、2つのグループに分かれ、村内5カ所の避難所のうち、村民体育館(武道場)、河原小学校、西原中学校の3カ所で足湯ボランティアを実施した。最初に訪問した村民体育館は最も小さな避難所で、30人強が避難生活を送っていた。天気が良かったため、避難されている方のほとんどは自宅の後片付けに出払っており、数人の高齢者しか残っていなかった。この避難所には、近隣他県や日赤・専門職団体からの応援の援助職(保健師・介護士など)が滞在・巡回しており、被災者の体調管理に当たっていた。村役場の役職者も、「統括」という形で避難所の責任者になり、常駐していた。高齢のご夫婦はかなり腰も曲がっていたが、避難所生活でなまった体を動かそうと、JRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)の整形医とPTらの指導で、順番に往復運動を繰り返していた。

 私達は炎天下の中、汗だくになって カセットコンロでお湯を沸かし、高齢者の方々を中心に足湯を提供した。初めての活動で不安もあったが、最初にきっちりと練習したお陰で、スムーズに実践することができた。学生達は高齢者の方から孫のように受け入れられ、会話が弾んでいた。彼らは熱意があり、また普段、接客業などのアルバイトに従事していることもあって、さほど違和感なく取り組めたようだ。

被災者の「つぶやき」を聴く
 もう一つのグループが訪問した河原小学校体育館は、避難者130人ほどの避難所で、それぞれの生活スペースが高い間仕切りで区切られていた。ここでも避難者は家の片付けなどに出掛けており、やはり他県から派遣された行政職員の姿が目立った。避難所に残っている高齢者の方に学生達が足湯を提供していたので、後で合流した私も初めて実践してみた。

 私が足湯をしたのは元気な70歳代の男性だった。地震後3週間で熊本市内の運輸業の仕事に復帰され、避難所から通っておられた。4月16日の本震では、夜中に熟睡していたところ、ドーンと揺れたので、寝室から這い出るように外へ逃げ出した。寝室は増築した部分で大丈夫だったが、それ以外は潰れてしまった。月明りで煌々と照らし出された家々の多くが潰れていることに驚いたそうだ。 

  私は実際に足湯をしてみて、学生にとって被災者の「つぶやき」を聴き、「つぶやきカード」を書くことは、想像以上に難しい作業であろうと感じた。というのも、私は事前に足湯に関する論文を読み、「つぶやき」を聴き取るということは、相手の発話に口を挟まず傾聴に徹することだと理解していた。しかし、ただ聞いているだけでは曖昧な点が詰められず、内容も深められないことに気づいた。日本語の「つぶやき」とは、本来、モノローグ(独白)であるが、足湯では実際には相対するボランティアに語られる以上、ダイアローグ(対話)である。便宜的に「つぶやき」と名づけられているだけであって、共振し共感する「つぶやき」を生み出すのは、被災者とボランティアの共同行為である。相手に自由に語ってもらう非構造化インタビューと同じように、足湯では相手の発話の中から、こちらが関心を持ったテーマを膨らませていくことによって、より本音に近い発話を引き出すのが、ボランティアの役割であるとわかった。

「つぶやき」を記録することの難しさ
 活動終了後に災害ボランティアセンターに戻って、学生達の「つぶやきカード」を読んでみると、カードを書く時間が十分に取れなかったせいもあって、「つぶやき」そのままを書き取るはずが、ポツポツと単語レベルの箇条書きになっているケースもあった。心から通じ合えたような会話が続いていた一方で、「つぶやき」を記録するのは難しかったようだ。  

 足湯の論文では、インタビューのような「つぶやき」が幾つも紹介されていたが、特に留意しないと、自然な「つぶやき」は書けないことがわかった。しばしば誤解されていることだが、単に「つぶやきはただ聞いたことを書くだけ」ではない。相手の発話を事後に再現することは難しいし、ただ再現しただけでは第三者には読みづらい。こちらで方言やジャーゴンなど特徴を残して文章を作り替え、第三者が当事者の自然な「つぶやき」として読めるように、工夫することが大切だとわかった。もちろん、そのためには、まず「つぶやき」を聴き取ることが重要である。

  ある熱心な学生のカードは、第三者が読んだ時に、当事者が語ったように、流れ良く「つぶやき」が記してあった。この学生は、西原中学校の避難所で寡黙な高齢男性に出会い、話が弾まないので、このままでは終われないと、手技に15分くらい時間を掛けたそうである。そうすると、避難所生活の大変さについて核心をつく話を聴き取れたという。 

 高齢者は孫のような学生と触れ合うのが嬉しいために、興味本位で学生生活の話に流れてしまえば、それはただの雑談となり、被災者にとって大切な「つぶやき」とは言えなくなってしまう。足湯は調査ではないが、被災者とボランティアが互いに共振しあうような被災者の本音を「つぶやき」と称するなら、それは相手に負荷を与えない理想的な非構造化インタビューと本質的に似ていると言えるだろう。

 学生達の「つぶやきカード」から、印象に残った「つぶやき」を幾つか引用しておきたい。「こうゆう生活はストレスかかりますよ。(お互いの生活が丸見えだけれども)誰も何も言いまへん。そうゆーもんです。でもまぁ、皆ケンカとかもせず上手くにやれてますわ」「ここの生活続いてると、本当に肩が張って仕方ないですわ」(60代男性)、「あぁなんか左肩が楽になってきたような感じがします。こんなこと息子にもしてもらったことないです。本当にうれしいです」(70代女性)、「日中畑に出ている人たちはストレス発散できるが、室内にいる人たちはずっと同じ場所にいるからストレスがたまる。・・・・・・気持ちよかった、ありがとう」(30代男性・他県からの応援行政職員)、「自分の頃は戦争で学校に行けなかった。教育は大事だから、勉強頑張れよ。(自分は)まだ働いてるんだ」(80代男性)。

  この「つぶやき」に対して学生は、「とても真剣な顔で、何度も勉強頑張れよ、頑張らないかんよ、と言ってくださり、この方も本当は学校に行きたかったのかなと思った。ボランティアで来たが、こちらが元気をもらってしまった」と感想を記していた。この学生は内気な性格もあって苦労していたようだが、その分、心を込めて足湯をして、優れた「つぶやきカード」を残した。足湯を通じて、とても良い出会いがあったことが窺えた。

 今回、足湯を提供し、被災者の方々の「つぶやき」を聴き取ってみて、被災者が慣れない避難所生活でストレスを抱えているのがわかった。避難所で問題が生じても、同じ共同体の一員である以上、人間関係の軋轢を恐れてあまり追及できないなど、共同生活ゆえの悩みは色々とあるようだ。もっとも避難所によっても雰囲気は異なり、たとえば河原小学校の避難所は間仕切りがあり、地元の人だけの落ち着きが感じられたが、避難者が250人余り生活する西原中学校は間仕切りもなく、人数も少し多いせいか、やや雑然とした印象であった。ただ、どの避難所も保健師・看護師・介護職や他県行政職員など、大勢の支援者が常駐・巡回しており、現時点では、避難所生活は安定しているように思われた。

 足湯の利用者は、最終的に3つの避難所合わせて30人弱だった。高齢者の方だけでなく、村役場職員の方や、子ども達にも利用してもらった。余った時間は、簡易風呂の設置の手伝いや、高齢者の方の話し相手をしたり、子ども達と遊んだりした。学生は、じゃれてくる子どもと接して、避難所生活の中でけなげに頑張っている反動だと感じたようだ。また、ボランティアに来ていた中央大や関西学院大の学生達と避難所で知り合い、大いに刺激を受けたようであった。早速、共同のLINEグループを作成し、写真をシェアしていた。

今後に向けて 
  翌週に参加者を集めて反省会を行ったが、第三者に被災者の「つぶやき」として理解してもらうためには、「つぶやきカード」の記録の仕方には留意が必要であること、「つぶやきカード」を書くために足湯の後で一定の時間を確保することなど、課題と改善点が明らかになったので、今後の実践に生かしていきたいと思う。

 現在、西原村では、先行して完成した50戸の木造仮設住宅への入居が進みつつあるが、まだ500人以上の方が避難所や車中で生活されている。被災者の方々が1日も早く平穏な生活を取り戻されることを願っている。今後も身近な学生を巻き込んで、定期的に活動を続けていきたいと考えている。次回の足湯ボランティアは7月上旬に実施する予定である。

引用文献
似田貝香門・村井雅清編 2015『震災被災者と足湯ボランティア―「つぶやき」から自立へと向かうケアの試み』生活書院.

□本多先生のブログ記事

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