2016年7月31日日曜日

歌詞の中の神々(小笠原史樹先生)

「教員記事」をお届けします。2016年度第6回目は、小笠原史樹先生です。



歌詞の中の神々

最近まで中州の大洋映画劇場で、クリスチャン映画を3作品連続で公開する、というイベントが開催されていた。この場合の「クリスチャン映画」とは単に「キリスト教をテーマにした映画」ではなく、「キリスト教の信仰の立場から作られた映画」のこと。上映されたのは「復活」(Risen)、「天国からの奇跡」(Miracles from Heaven)、「祈りのちから」(War Room)。私はクリスチャンではないものの、仕事と趣味を兼ねて3作品とも観に行き、相応に楽しんだ。

「復活」が古代のエルサレム等を舞台にしているのに対し、残り2作品の舞台は現代アメリカ。「天国からの奇跡」の冒頭、教会の壇上で会衆を前に、バンドが演奏している場面が出てくる。軽快なポップスのメロディに乗せて“Lord, I’m longing for your ways/I’m waiting for the day”(主よ、あなたの道を切望しています。その日を待っています)とか、歌っている。「祈りのちから」のエンドロールで流れるのも、同様のキリスト教的な曲。“I am a warrior on my knees”(私はひざまずいた戦士)、“Even though our enemy roars like a lion, the Lion of Judah is on our side”(敵が獅子のように吠えても、私たちにはユダ族の獅子が付いている)。

「ユダ族の獅子」はイエス・キリストを指している。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる」(『ヨハネの黙示録』5章5節、新共同訳)。

どうやら「クリスチャン・ロック」というジャンルがあるらしい、と知ったのは、昨年、やはり中州の映画館で観た「神は死んだのか」(God’s not Dead)がきっかけだった。作中、ニュースボーイズという実在のバンドが登場して歌う。“My God’s not dead/He’s surely alive/He’s living on the inside/Roaring like a lion”(私の神は死んでいない。彼は確かに生きている。心の中にいて、獅子のように吠えている)。キリスト教とロックは対立している、とばかり思っていたので、この映画を観たときは驚いた。

1970年、ジョン・レノンは“God”という曲を発表している。“God is a concept by which we measure our pain”(神なんて、僕らの痛みを測るための概念でしかない)、“I don’t believe in Bible(…)I don’t believe in Jesus(…)I just believe in me, Yoko and me, and that’s reality”(聖書なんて信じない(…)イエスなんて信じない(…)僕は僕だけを信じる、ヨーコと僕だけを。確かなのはそれだけ)。

1976年にはセックス・ピストルズが“I am an anti-Christ”(俺は反キリスト)と声を張り上げ、2000年にはマリリン・マンソンが“I’m not a slave to a god that doesn’t exist”(俺は神の奴隷じゃない、神なんて存在しない)と叫んだ。ブラック・サバス(黒い安息日)やジューダス・プリースト(裏切り者の司祭)に至っては、そのバンド名からして反キリスト教的である。

しかし気づけば、既に1990年代から、インペリテリがキリスト教的な歌詞の曲を発表してもいた。1994年のアルバムのタイトルは“Answer to the Master”(主に答えよ)。ジャケットも、ミヒャエル・パッハーの「聖ヴォルフガングと悪魔」というキリスト教の絵画。さらに1996年のアルバム、一曲目の出だしは次の通り。“Father forgive them, they know not what they do”。ほとんどそのまま、新約聖書からの引用である。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(『ルカ福音書』23章34節、新共同訳)。実はブラック・サバスにも、キリスト教的な曲がある(“After Forever”、1971年)。

邦楽の歌詞でも案外、神への言及は多く見られる。YUIの「How Crazy」、「Oh 神様 ちょっと不公平だって思うよ」。チャットモンチーの「世界が終わる夜に」、「わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった/愛という名のお守りは 結局からっぽだったんだ」。どちらも2007年。

1974年、荒井由実の「やさしさに包まれたなら」、「小さい頃は神さまがいて/不思議に夢をかなえてくれた」。1997年、川本真琴の「1/2」、「唇と唇 瞳と瞳と 手と手/神様は何も禁止なんかしてない 愛してる 愛してる 愛してる」。広瀬香美の「ロマンスの神様」や植村花菜の「トイレの神様」、最近ではハナエの「神様はじめました」(鈴木ジュリエッタのマンガ『神様はじめました』に由来)や椎名林檎の「神様、仏様」、等々。

今一番気になっているのは、RADWIMPSの幾つかの曲。「おしゃかしゃま」、「もしもこの僕が神様ならば 全てを決めてもいいなら/7日間で世界を作るような 真似はきっと僕はしないだろう」。「狭心症」、「そりゃ 色々忙しいとは思うけど/主よ雲の上で何をボケっと突っ立ってるのさ/子のオイタ叱るのが務めなんでしょ/勇気を持って 拳を出して/好きなようにやっちゃって」。「五月の蝿」には直接「神」という言葉は出てこないが、次の歌詞が印象的。「激動の果てにやっとたどり着いた/僕にもできた絶対的な存在/こうやって人は生きてゆくんでしょ?/生まれて初めての宗教が君です」。そして「実況中継」では、神様と仏様が喧嘩になる――。

しばしば日本は「無宗教」と言われるが、誰かが「神様」と歌って、その言葉を聴いて多くの人が自然に理解する程度の、漠然とした「神」の概念は共有されているはず。これらの歌詞を集めて分析してみたり、洋楽と比べてみたりすることで、現代日本における「神」の在り方が見えてくるかもしれない。勿論、音楽だけでなく映画や小説、マンガやアニメ、ゲーム等も格好の研究対象になるだろう。ごくごく身近なところに、いくらでも学問のネタは転がっている。

というわけで、もし万が一、私が研究室でジューダス・プリーストを聴きながら『夏目友人帳』を読んでいたとしても、決して怠けているわけではないのである……おそらく。


□小笠原先生のブログ記事

平成28年度オープン・キャンパス

 今年度のオープン・キャンパスのお知らせです。
 文化学科の模擬講義、個別相談には右のポスターを目印にどうぞ。

模擬講義
 会場  8号館2階 826教室


1)「犯罪捜査と心理学」
 講師  大上 渉 准教授
 時間  11:30 ~ 12:10

2)「『正義』の名の下に、何をやっても許される?
  -おとり捜査の倫理学-」
 講師  林 誓雄 講師
 時間  14:00 ~ 14:40



教員・在学生による個別相談
 会場  A棟6階 A615 教室
 時間  10:00 ~ 16:00





 また、ご来場頂いた方には、各界で活躍する文化学科の卒業生や在学生を紹介した『文化学科卒業生・在学生名鑑』(2016年版)をプレゼントします。卒業生24名、在学生10名の記事に加えて、文化学科の行事や就職先の情報も載っています。文化学科の学生が手作りで製本しました。

 250部限定ですので、品切れの際はご容赦下さい。





昨年の文化学科のオープン・キャンパスの様子はこちらをご覧下さい。


文化学科での学生生活がよくわかる、学生記事はこちら。
 ・文化学科の時間割
 ・大学生活を充実させるためにたいせつなこと



大学全体オープンキャンパスの案内はこちらをどうぞ。
 http://nyushi.fukuoka-u.ac.jp/event/op/

 


2016年7月29日金曜日

文化学科の時間割

  今年度7回目の学生記事をお届けします。L15台の宮崎祐樹君、中川響介君、永井健太君が2年次前期までの文化学科の時間割について紹介してくれました。
 松岡明里さんと水永まなみさんの「大学生活を充実させるために大切なこと」の記事もぜひあわせて読んでください。文化学科での学生生活がよくわかると思います。
 また、オープンキャンパスに来られた方は、4年間を通しての文化学科の時間割が展示されていますので、ぜひご覧下さい。


文化学科の時間割

LC15台 宮崎祐樹 中川響介 永井健太

 今回、人文学部文化学科に在学中である私たち3名は、文化学科の学生がどのような学業生活を送っているかを、一般に広く知ってもらうために、私たちの時間割を紹介します。受験生の方はぜひ参考にしていただきたいと思います。

 まず文化学科2年の宮崎祐樹が、1年次前期の時間割を紹介します。私は人間の行動に関心があり、文化学科を受験しました。特に心理学Aは受講した中でもとても面白くためになる授業でした。ほかの授業は、高校で理系だったため、理数系の科目を多めにとり、期待値、分散、標準偏差などを学びました。第2言語は中国語、朝鮮語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語の6種類の選択肢があります。私はサッカーに興味があり、スペインに試合観戦などをしにいくためスペイン語を学び、事実、この授業のおかげでスペインでもそつなく会話をこなすことができました。

 大学生になり、レポートが作れるかどうか不安だったのですが、必修科目の基礎演習Ⅰでは、レポートの書き方をとても丁寧に教えていただき、この授業のおかげでレポートを素早く作成できるようになりました。また、文化学基礎論では文化学科で学んでいくために必要不可欠な知識を学びます。具体的には哲学や宗教学、文化人類学などのさわりの部分を学習し、基礎的な知識を身につけます。
(宮崎祐樹) 



 次に、中川響介が2年前期の時間割を紹介します。文化学科では、哲学、地理学、心理学、宗教学、社会学、倫理学、美術史、文化人類学などの、幅広い学問分野を学習します。私たちが当たり前に過ごしている生活の習慣を地域や年代ごとにとらえて異文化を理解し、人の探求を通して、固定観念にとらわれない幅広い視野と柔軟な発想力を持てる人材の育成を目指しています。例えば、木曜5限の哲学の基礎Ⅰ(宮野先生)では、「世間」と「社会」をテーマにし、まず「世間」と「社会」の違いを考え、私たち大学生は、「世間」と「社会」のどちらに属していることが多いのか、「世間」と「社会」の2つを100%としたとき、私たちは、どのくらいの割合で過ごすべきなのか、グループごとにディスカッションをしました。授業で知識を得て深めるだけでなく、グループ活動を行うことで、友達との輪が広がり仲を深めることも出来ます。

 また、私は、教員免許と博物館学芸員資格の課程を履修しています。私が文化学科に進学を決めた最大の理由が、この2つを履修することができるからでした。やはり、大学に進学をしたからには、多くの資格を習得したいと思いました。履修科目数が増えるので、他の人より時間割の余裕が少なく、テスト勉強が大変になるかもしれませんが、しっかりと励みたいと思います。教職課程では、4年生の時に母校の高校で教育実習を行い、博物館学芸員課程でも、各博物館で実習を行う予定です。また、これらの授業を通じて得るものは多く、大変やりがいを感じています。多種多様な視点を学べることが文化学科の良いところだと感じています。これからますます人間・社会・文化の理解を深められるよう、学業に励んでいきたいと考えています。
(中川響介) 



 最後に、永井健太が文化学科全般について総論します。このように文化学科では、様々な学問分野を学ぶことができます。入学した時はレポートの書き方やグループでの討論、発表等に戸惑うこともあると思います。しかし、大学の講義とは、高校の授業のように生徒が先生からただ教えてもらうといった形式ではありません。自分が何を学びたいか考え、本などで調べて、友達と話し合い、結論を出すというような、自分から進んで学習しようという意欲が必要です。この気持ちがないと、大学の講義の本当の面白さはわからないでしょう。しかし、折角高い学費を払って大学に通っているのに、積極的に学ばないのはもったいないです。大学に入ろうとしているけれど、どの学科にするか決めかねている受験生の方には、福岡大学人文学部の文化学科をお勧めします。

 文化学科では様々な国や地域の文化を幅広く学ぶことができます。私はアダムとイブなどの神話的な話に興味を持ち、宗教学関連のゼミを受講しています。そこでは聖書などを物語的に読み取り、ゼミのグループが各々さまざまな解釈をし、議論しています。また、私の友人は、自分たちで調べたい文化のフィ―ルドワーク(現地調査)を行い、まとめて発表をしています。

 文化学科では演習(ゼミ)が必修科目となっているため、いろいろな分野の研究をしている先生方の授業を受けることができます。哲学や地理学、文化人類学などの分野から自分の興味がある分野を選択し学習します。ゼミではレジュメやレポートを作成・発表し、討論を通じて結論を出すといった形式です。これを繰り返すことによって、自分の意見をまとめて人に伝える能力やパソコンでの資料作成などの力が付きます。これは社会に出ても必要になっていく能力です。文化学科は自分の興味がある分野を学ぶのに適した学科だと思います。
(永井健太)

2016年7月28日木曜日

大学生活を充実させるために大切なこと

  今年度6回目の学生記事をお届けします。LC14台の松岡明里さんと水永まなみさんが大学生活を充実させるために大切なことを考えてくれました


大学生活を充実させるために

LC14台 松岡明里  LC14台 水永まなみ

 大学生活を充実させるために大切だと思うことは、自分から動くことです。大学は高校生の時までと違い、周りが色々と世話をしてくれなくなります。一見自由になるから良いことと捉えられがちですがこれは自分が何も行動しない限りは物事が進まない、色々な経験をするチャンスが減る、何も起こらない日々になるなどの恐れがあるということです。せっかくの4年間なのに自分から行動を起こさなければ、後から「4年間何もなかった」というような大学生活になってしまうかもしれません。   
福岡大学 正門

 自分から動くということには具体的にいうと、色々なことがあります。自分がしたいことにチャレンジしてみたり、授業をいつもより積極的にきいてみたり、ゼミなどの発表の場で思い切って意見を発表してみたり、友達を遊びに誘ってみたりなど様々です。一見当たり前にするべきことだと思う人もいるかもしれませんが、実際にそれらのことをできている人は少ないと思います。つい自分の甘さに負けてしまったり、不安になったり、勇気がでなくて挑戦できなかったり、わかっているのに行動できなかったりする時があるからです。しかし、そのままでは後悔することになってしまいます。一歩踏み出せず後悔したことがある人はたくさんいるのではないでしょうか。

 自分から動くことで新たな動きや出来事が生まれます。今まで話したことのないような人とも話す機会が増え、こういう人もいるのだなと思ったり、思っていたよりも気が合う人がいたりもして新しい発見が生まれます。自分から行動したその先には新しい仲間との出会いがあるのです。そして、自分から挑戦したいことにチャレンジすることにより成長することができ、積極的に授業を受けることにより普通に受けていただけじゃ気がつかなかったような面白い発見があります。また、意見を発表することは自信につながり、その学問への興味にもつながります。友達と遊ぶと楽しい時間を過ごせます。小さいことから大きなことまで、自分から動いて行うことで色々なことが変わっていくのです。

 自分から動くということによってうまれるパワーは自らが思っているより、とてつもなく大きいものなのだと思います。なぜなら、あなたの以前の選択による行動がなければ、今の生活は大きく違ったものであったのかもしれないのですから…。自分から動くことによって起きるパワーの大きさに、私たちは気づいていないのではないでしょうか。気づいていない中で日々たくさんのことを選択し、生きているように思います。そのパワーの大きさに気づくときが、1人1人が大きな一歩を踏み出す時なのではないかと感じます。   
           
福岡大学の景色
 このように自分から動くということには大きな力があり、自分を成長させることにつながり、充実した日々を送ることにつながるのです。自分から動かなければ何も始まりません。だからこそ、自分から動くことが出来ない人にはぜひ勇気を出してもらいたいなと思います。福岡大学には「学生チャレンジプロジェクト」など、みなさんのチャレンジを後押ししてくれる制度があります。また福岡大学には2万人以上の学生がいます。あなたの今までの価値観を変えてくれるような出会いもあるかもしれません。たくさんの人との出会いがあり、それによりたくさんのことに気づけます。影響を受け合い互いに成長できます。「あの子も頑張っているから私も頑張ろう」と思えるような友達と出会うこともできます。ぜひこの福岡大学で自分から動くことによって様々な経験をして大学生活という限りのある大切な時間を思いっきり過ごし、成長していって欲しいと思っています。
(松岡明里)



 大学生活は4年間、本当にあっという間に過ぎていきます。大学生活を充実させるために大切だと思うことは、まず時間を上手く活用することです。例えば、大学生は自分で時間割を組みます。そのため、時間割の組み方次第で自由に時間を作ることができます。その隙間の自由な時間を有効に使うことが濃い毎日を送れるかどうかに大きく関わってきます。だらだらと何もせず過ごすことも時には必要ですが、しっかりと計画的に取り組むことで夢や目標などを見つける切っ掛けにもなると思います。私も、思い立ったらすぐ行動することを心がけています。自分のやりたいと思ったことにどんどん挑戦し、あとから後悔することのないようにこれからも続けていこうと思っています。
      
 それから、部活動やサークルに入ることをお勧めします!福大には200団体近くの部活動、サークル、愛好会などがあります。興味のあることや趣味などを同じように持つ仲間たちと一緒に活動しています。私自身、現在女子ソフトボール部で活動をしています。中学や高校の時は、顧問の先生に言われるがまま、ただがむしゃらに部活動に取り組んでいました。とくに高校3年間は、寮に入り、ソフトボールをすることだけに没頭していました。しかし今は、大学生らしく自分たちで知恵を出し合いながら戦術を考えたり、日々の練習メニューを考えたりしています。また、大会や遠征の手配なども自分たちで行っています。

 大学生になった初めの頃は、今までと全く違う環境でソフトボールをやることに対して、戸惑うことも多かったです。社会にでる一歩手前ということもあり、礼儀や上下関係は厳しいです。目上の方と話す機会があるため、丁寧な言葉遣いや挨拶などのマナーが身に付きます。自分自身のためにもなり、とても良い経験となっています。

 また、文化学科で学んだことを、部活動内でのチーム作りや自分自身のパフォーマンスに生かすように工夫しています。例えば、集団心理の観点から、どのようにすれば全体のやる気や効率が上がるか、また、会社などの組織を引っ張っていける人材にはどのような特徴があるかなど、それらを部活動に置き換えて考えたりしています。チーム内でも、次は最高学年になるので、学んだことをしっかりと生かしていきながら強いチーム作りを行っていきたいと思っています。

 週6日で活動しているため、とてもハードスケジュールで正直大変です。真夏の炎天下の中、ずっと外で練習をすることは身体的にも精神的にもきついです。なかなか結果が出ずに苦しい思いをするときもあります。しかし、ソフトボールはチーム競技です。だからきついときは互いに声を掛け合ったりして、仲間と一緒だからこそ頑張れます。苦労した分、大会で勝った時や、結果が出た時はとても大きな達成感を得ることができます。また、自分自身だけでなくチームメイトが結果を残した時も、自分のことのようにとても嬉しいです。部活動に入部したことで、たくさんの人と出会うことができました。4年間続けることは、すごく大変だし根性がいることだと思いますが、4年間しっかり頑張ることで、何にも変えることのできない大きな経験として、これからの人生に必ず役立つと思っています。

 あっという間の大学生活を充実させるために、何かに打ち込んだり、いろいろなことに挑戦してみたり、とにかくしっかりと自分自身で考えて行動してみてください!私も社会に出る一歩手前の今、学べるだけしっかり学び、遊べるだけしっかり遊んで、残りの大学生活を楽しもうと思います。

                                     (水永まなみ)

*画像はすべて筆者撮影

2016年7月27日水曜日

卒業論文相談会の開催について

卒業論文相談会の開催について
(LC14台/3年生対象)


 文化学科では、10月上旬の「卒業論文指導願」提出期限に先立ち、3年生を対象に卒業論文の相談会を開催します。個々の教員に個別具体的な相談ができる貴重な場です。卒業論文を書くかどうか迷っている人も、是非とも足を運んでみましょう。
 また、この相談会に先立ち、夏休み期間に、自分の研究テーマについて本を読んだり資料を集めたりといった具体的作業を進めておくことも推奨します。


■日時:2016年9月21日(水)16:30~18:00
■場所:文系センター15階 第5会議室

 *『2016年度版 文化学科教員紹介』を持参してください


 なお、卒論相談会に出ないと指導が受けられないということではありません。

 教員とオフィス・アワーやeメール等を利用して、積極的にコンタクトをとり、テーマを決定して10月3日(月)~10月14日(金)に人文学部事務室宛に「卒業論文指導願」を提出してください。

 卒業論文を書くにあたっての具体的手続は、『2016 年度版 文化学科教員紹介』の24-31頁「卒業論文を書くために」を参照してください。

 下記の卒業論文関係の学科ブログ記事もよい参考になります。

平成27年度提出の卒業論文題目一覧
平成27年度卒業論文発表会に参加して(LC13台 佐野主季くん)
平成27年度卒業論文発表会
卒業論文発表会のお知らせ
卒業論文

教務・入試連絡委員 大上 渉・小笠原 史樹

2016年7月14日木曜日

熊本地震被災地で足湯ボランティアに参加して

 今年度4回目の学生記事をお届けします。LC14台の三重野春菜さんと西江友希さんが本多康生先生と参加した、熊本地震被災地の西原村での足湯ボランティアについて報告してくれました。本多先生のご報告「 熊本地震被災地の西原村で学生達と足湯ボランティアに従事して 」もぜひご覧下さい。


足湯ボランティアについて

LC14台 三重野春菜

 5月21日の土曜日、私は熊本県の西原村へ足湯ボランティアに行ってきました。西原村は4月16日の熊本地震により、大きな被害を受けた地域の一つでした。文化学科の本多先生の呼びかけにより、学部も学科も違う11名の学生が集まり、朝7時10分に西原村へ出発しました。

 西原村に着いたのは午前9時半でした。そこで被災地NGO協働センターの増島さんと合流し、足湯の仕方を教えていただきました。足湯ボランティアの主な目的は、被災地の方々にリラックスしていただくことと“つぶやき”を聞き取ることでした。被災者は相談したくてもしにくい状況にあるため、辛いことも溜め込んでしまうことがあるそうです。そういったことを私たちボランティアが聞き取り、行政に相談することにより被災者と行政をつなぎ復興に役立てるという役割があるそうです。

 10時からは2チームに分かれ足湯提供に移りました。私たちのチームは避難所を2ヶ所回ったのですが、どちらの避難所もいらっしゃるのはお年寄りと子供たちばかりで、多くの方々は家の片付けや畑など外に出かけているようでした。

 足湯を行っている中で、皆さんが話してくださるのは西原村の良いところや、私たちボランティアに対するお礼などが多かったのですが、その一方で地震が起きた時の様子や長期の避難所での生活の不安や大変さを教えてくださる方もいらっしゃいました。

 実際に被災地に行って話を聞き感じたことは、皆さん長期の避難所での生活に疲れてきていることや、家が崩れ今後の生活に不安を持っていることでした。地震からすでに1ヶ月経っていますが、今後も復興にはまだまだ時間がかかるそうです。また今後被災地では緊急的な物資の支援から精神的、身体的な支援へと移り変わっていくのだろうと感じました。その中で大学生の私たちがいま精一杯できる支援として、今後も足湯ボランティアを続けていきたいと思いました。



足湯ボランティアに参加して

LC14台 西江友希

 5月21日(土)早朝6時50分という少し早い時間に総勢11名の学生と教員が集まりました。4月の震災で被害を受けた熊本の西原村への足湯ボランティアに参加するためです。1日の流れとして、まず9時半に西原村災害ボランティアセンターに到着し、足湯講習を受けました。その後2班に分かれて足湯提供を行うことになり、私は河原小学校避難所へ行きました。河原小学校避難所には、131名の被災者が避難をしていました(5月19日20時現在)。私はこのようなボランティアに参加するのは初めてで、うまく足湯提供ができるか少し不安でした。


 ここで、足湯の効果について少し触れたいと思います。まず足湯とは被災者の方に足を湯につけてもらいながら向き合って手をとり、さすり、そしてお話を聴きます。こうして被災者の苦しみや悲しみに寄り添い、こころの苦しみを聴き取り、それを被災者の『つぶやき』として受けとめることで、心身ともにリラックスしていただくことができます。

 河原小学校に到着して最初に感じたことは、集団生活におけるプライバシーの無さでした。個々のスペースの仕切りは想像していたよりもはるかに低く、普通に歩くだけで中が丸見えの状態でした。避難してしばらくはその仕切りすらもなかったそうです。わたしは河原小学校で4人の被災者に足湯を提供させていただいたのですが、やはり「集団生活はルールも多いし、言いたいことも言えなくてストレスが溜まる」という声を多く聴きました。中には、「実際には揺れていないのに揺れているような感覚がして怖くてなかなか夜眠れないんだよ」という声もありました。笑顔でお話をしていても、地震の話になると顔がこわばっていて、とても怖かったんだなということを感じさせられました。足湯が終わった後は皆さんに笑顔で「ありがとう、気持ちよかったよ」と言ってもらえて、お話を聴くことしかできなかったけど少しは力になれたのかなと思い、嬉しく思いました。

 今回の足湯ボランティアで、テレビで見るのとは違う被災者の生の声を聴くことができ、わたしたちにできることはなんだろうということを深く考えさせられました。支援者の一方的な支援の押し付けになるのではなく、被災者の声を聴きながら被災者の望む、本当に必要な支援をしていくことが大切だと実感でき、とてもためになりました。これからも何らかの形で関わりながら応援していきたいです。



2016年7月7日木曜日

熊本地震被災地の西原村で学生達と足湯ボランティアに従事して(本多康生先生)

本多康生先生が、熊本地震被災地へ学生さんを引率してボランティアに参加されました。その報告です。
 

 熊本地震被災地の西原村で学生達と足湯ボランティアに従事して 

本多康生(社会学

  5月21日(土)に学生11人を引率して、熊本地震被災地の西原村で足湯ボランティアを実施した。西原村は、阿蘇外輪山西麓に位置する人口約7000人の小さな自治体である。主要産業は甘藷(唐芋)・里芋栽培などの農業や牧畜業で、熊本市のベッドタウンとして人口は増加傾向にある。4月16日の本震で大きな被害を受け、2652棟の住宅のうち全壊497棟、半壊1253棟、避難者は最大で1809人に達した。5月19日時点で692人が5か所の避難所で生活していた。

 以前のゼミ研修の経験から、事前学習が不十分では成果が乏しいことを痛感していたので、学生が自分なりの問題意識やテーマ設定を持てるよう、足湯に関する論文の輪読や西原村の学習会をあらかじめ行った上で、ボランティアに臨んだ。

被害の大きかった集落を歩いて
 西原村では、被災地NGO恊働センター(神戸)の増島さんの案内で、被害の大きかった集落を歩いた。村内を走る布田川断層帯は以前から危険視されていたようだが、断層上の家々は大きく壊れ、石垣なども崩れ落ちていて、大変な惨状だった。断層から少し離れた地域では屋根瓦の被害程度で留まった家も多く、村内でも被害の格差が大きかった。応急危険度判定で「危険」を示す赤紙が貼ってあると、ボランティアは片付けに入れないため、ジレンマを抱えているようだ。村道の一部も土砂や崩れた石垣で塞がり、通れなくなっていた。各家屋では、大勢のボランティアが瓦礫類を運び出していた。

足湯の意義
 西原村災害ボランティアセンターの2階で、サークル状に椅子を並べ、2人1組でボランティアと被災者の役になり、足湯の練習をした。足湯は被災者の足を洗うのではなく、お湯を張った盥に足をつけてもらい、ボランティアが手や腕を順番に揉みほぐしていく。避難所で張りつめた生活をしている被災者はやがて開放感を覚え、自然とボランティアに抱え込んでいる思いを吐露する。ここで被災者の語った言葉を、足湯ボランティアでは「つぶやき」と呼んでいる。

 
  極寒の阪神・淡路大震災の際に、お風呂に入れず震えている被災者に対して、避難所の通路で被災地NGO恊働センターが足湯を提供したのが始まりである。最初はノートに被災者の「つぶやき」を記録していたが、新潟県中越地震や能登半島地震などを経て、東日本大震災では足湯を提供した後に、1枚の「つぶやき カード」に一人の被災者の「つぶやき」とボランティアの感想を記すようになった。最終的に延べ16000枚に及ぶカードを研究者が分析した(似田貝・村井 編 2015)。足湯は、被災者に対するケアの意味だけでなく、「つぶやき」を記録することで、ニーズ調査ではわかりづらい被災者の本音を知り、行政や諸団体 の支援に繋げていくことに狙いがある。

村民体育館避難所
 私達は、2つのグループに分かれ、村内5カ所の避難所のうち、村民体育館(武道場)、河原小学校、西原中学校の3カ所で足湯ボランティアを実施した。最初に訪問した村民体育館は最も小さな避難所で、30人強が避難生活を送っていた。天気が良かったため、避難されている方のほとんどは自宅の後片付けに出払っており、数人の高齢者しか残っていなかった。この避難所には、近隣他県や日赤・専門職団体からの応援の援助職(保健師・介護士など)が滞在・巡回しており、被災者の体調管理に当たっていた。村役場の役職者も、「統括」という形で避難所の責任者になり、常駐していた。高齢のご夫婦はかなり腰も曲がっていたが、避難所生活でなまった体を動かそうと、JRAT(大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会)の整形医とPTらの指導で、順番に往復運動を繰り返していた。

 私達は炎天下の中、汗だくになって カセットコンロでお湯を沸かし、高齢者の方々を中心に足湯を提供した。初めての活動で不安もあったが、最初にきっちりと練習したお陰で、スムーズに実践することができた。学生達は高齢者の方から孫のように受け入れられ、会話が弾んでいた。彼らは熱意があり、また普段、接客業などのアルバイトに従事していることもあって、さほど違和感なく取り組めたようだ。

被災者の「つぶやき」を聴く
 もう一つのグループが訪問した河原小学校体育館は、避難者130人ほどの避難所で、それぞれの生活スペースが高い間仕切りで区切られていた。ここでも避難者は家の片付けなどに出掛けており、やはり他県から派遣された行政職員の姿が目立った。避難所に残っている高齢者の方に学生達が足湯を提供していたので、後で合流した私も初めて実践してみた。

 私が足湯をしたのは元気な70歳代の男性だった。地震後3週間で熊本市内の運輸業の仕事に復帰され、避難所から通っておられた。4月16日の本震では、夜中に熟睡していたところ、ドーンと揺れたので、寝室から這い出るように外へ逃げ出した。寝室は増築した部分で大丈夫だったが、それ以外は潰れてしまった。月明りで煌々と照らし出された家々の多くが潰れていることに驚いたそうだ。 

  私は実際に足湯をしてみて、学生にとって被災者の「つぶやき」を聴き、「つぶやきカード」を書くことは、想像以上に難しい作業であろうと感じた。というのも、私は事前に足湯に関する論文を読み、「つぶやき」を聴き取るということは、相手の発話に口を挟まず傾聴に徹することだと理解していた。しかし、ただ聞いているだけでは曖昧な点が詰められず、内容も深められないことに気づいた。日本語の「つぶやき」とは、本来、モノローグ(独白)であるが、足湯では実際には相対するボランティアに語られる以上、ダイアローグ(対話)である。便宜的に「つぶやき」と名づけられているだけであって、共振し共感する「つぶやき」を生み出すのは、被災者とボランティアの共同行為である。相手に自由に語ってもらう非構造化インタビューと同じように、足湯では相手の発話の中から、こちらが関心を持ったテーマを膨らませていくことによって、より本音に近い発話を引き出すのが、ボランティアの役割であるとわかった。

「つぶやき」を記録することの難しさ
 活動終了後に災害ボランティアセンターに戻って、学生達の「つぶやきカード」を読んでみると、カードを書く時間が十分に取れなかったせいもあって、「つぶやき」そのままを書き取るはずが、ポツポツと単語レベルの箇条書きになっているケースもあった。心から通じ合えたような会話が続いていた一方で、「つぶやき」を記録するのは難しかったようだ。  

 足湯の論文では、インタビューのような「つぶやき」が幾つも紹介されていたが、特に留意しないと、自然な「つぶやき」は書けないことがわかった。しばしば誤解されていることだが、単に「つぶやきはただ聞いたことを書くだけ」ではない。相手の発話を事後に再現することは難しいし、ただ再現しただけでは第三者には読みづらい。こちらで方言やジャーゴンなど特徴を残して文章を作り替え、第三者が当事者の自然な「つぶやき」として読めるように、工夫することが大切だとわかった。もちろん、そのためには、まず「つぶやき」を聴き取ることが重要である。

  ある熱心な学生のカードは、第三者が読んだ時に、当事者が語ったように、流れ良く「つぶやき」が記してあった。この学生は、西原中学校の避難所で寡黙な高齢男性に出会い、話が弾まないので、このままでは終われないと、手技に15分くらい時間を掛けたそうである。そうすると、避難所生活の大変さについて核心をつく話を聴き取れたという。 

 高齢者は孫のような学生と触れ合うのが嬉しいために、興味本位で学生生活の話に流れてしまえば、それはただの雑談となり、被災者にとって大切な「つぶやき」とは言えなくなってしまう。足湯は調査ではないが、被災者とボランティアが互いに共振しあうような被災者の本音を「つぶやき」と称するなら、それは相手に負荷を与えない理想的な非構造化インタビューと本質的に似ていると言えるだろう。

 学生達の「つぶやきカード」から、印象に残った「つぶやき」を幾つか引用しておきたい。「こうゆう生活はストレスかかりますよ。(お互いの生活が丸見えだけれども)誰も何も言いまへん。そうゆーもんです。でもまぁ、皆ケンカとかもせず上手くにやれてますわ」「ここの生活続いてると、本当に肩が張って仕方ないですわ」(60代男性)、「あぁなんか左肩が楽になってきたような感じがします。こんなこと息子にもしてもらったことないです。本当にうれしいです」(70代女性)、「日中畑に出ている人たちはストレス発散できるが、室内にいる人たちはずっと同じ場所にいるからストレスがたまる。・・・・・・気持ちよかった、ありがとう」(30代男性・他県からの応援行政職員)、「自分の頃は戦争で学校に行けなかった。教育は大事だから、勉強頑張れよ。(自分は)まだ働いてるんだ」(80代男性)。

  この「つぶやき」に対して学生は、「とても真剣な顔で、何度も勉強頑張れよ、頑張らないかんよ、と言ってくださり、この方も本当は学校に行きたかったのかなと思った。ボランティアで来たが、こちらが元気をもらってしまった」と感想を記していた。この学生は内気な性格もあって苦労していたようだが、その分、心を込めて足湯をして、優れた「つぶやきカード」を残した。足湯を通じて、とても良い出会いがあったことが窺えた。

 今回、足湯を提供し、被災者の方々の「つぶやき」を聴き取ってみて、被災者が慣れない避難所生活でストレスを抱えているのがわかった。避難所で問題が生じても、同じ共同体の一員である以上、人間関係の軋轢を恐れてあまり追及できないなど、共同生活ゆえの悩みは色々とあるようだ。もっとも避難所によっても雰囲気は異なり、たとえば河原小学校の避難所は間仕切りがあり、地元の人だけの落ち着きが感じられたが、避難者が250人余り生活する西原中学校は間仕切りもなく、人数も少し多いせいか、やや雑然とした印象であった。ただ、どの避難所も保健師・看護師・介護職や他県行政職員など、大勢の支援者が常駐・巡回しており、現時点では、避難所生活は安定しているように思われた。

 足湯の利用者は、最終的に3つの避難所合わせて30人弱だった。高齢者の方だけでなく、村役場職員の方や、子ども達にも利用してもらった。余った時間は、簡易風呂の設置の手伝いや、高齢者の方の話し相手をしたり、子ども達と遊んだりした。学生は、じゃれてくる子どもと接して、避難所生活の中でけなげに頑張っている反動だと感じたようだ。また、ボランティアに来ていた中央大や関西学院大の学生達と避難所で知り合い、大いに刺激を受けたようであった。早速、共同のLINEグループを作成し、写真をシェアしていた。

今後に向けて 
  翌週に参加者を集めて反省会を行ったが、第三者に被災者の「つぶやき」として理解してもらうためには、「つぶやきカード」の記録の仕方には留意が必要であること、「つぶやきカード」を書くために足湯の後で一定の時間を確保することなど、課題と改善点が明らかになったので、今後の実践に生かしていきたいと思う。

 現在、西原村では、先行して完成した50戸の木造仮設住宅への入居が進みつつあるが、まだ500人以上の方が避難所や車中で生活されている。被災者の方々が1日も早く平穏な生活を取り戻されることを願っている。今後も身近な学生を巻き込んで、定期的に活動を続けていきたいと考えている。次回の足湯ボランティアは7月上旬に実施する予定である。

引用文献
似田貝香門・村井雅清編 2015『震災被災者と足湯ボランティア―「つぶやき」から自立へと向かうケアの試み』生活書院.

□本多先生のブログ記事

2016年7月5日火曜日

平成28年度LCガイダンスゼミナールのお知らせ

夏休み終了後の9月17日土曜日、一年生を対象とするLCガイダンスゼミナールが開催されます。

このゼミナールは文化学科の新入生に、自分たちがこれからの4年間、「文化学科で何を、いかに学ぶか」を実際に体感してもらうための催しです。例年、入学直後の4月に開催されていますが、今年度は地震の影響を考慮して延期し、後期の授業開始直後に行います。

前期を終えた一年生は、既に基礎演習Ⅰで基本的なアカデミック・スキルズを身につけ、さらに文化学基礎論や共通教育科目で様々な知識を吸収し始めています。今回のゼミナールで一年生に求められるのは、そのような前期の学習成果を大いに発揮することです。

また、より多くの教員が冒頭の講義で登壇するように、4月開催時のプログラムを一部変更しました。文化学科は「文化の多角的・総合的理解」を学科の理念にしています。文化学科での学習を通して得られるのは、一つの専門分野だけに狭く閉じこもらず、複数の視点から深く物事を捉えていく能力です。当初のプログラムでは二名の教員のみが登壇する予定でしたが、今回は、哲学・倫理学・宗教学・美術史・文化人類学を専門とする六名の教員が登壇し、各分野から一つのテーマにアプローチします。それぞれの視点によって物事の見え方がどのように変わるのかを参加者に体験してもらい、その体験を通して、後期の初めに改めて「文化学科で何を、いかに学ぶか」を確認してもらうことが、今年度のゼミナールの目的です。

テーマは4月と同じく「文化学科で考える『しあわせ』」です。このテーマについて、まず髙岡先生が文化人類学の視点から、次に文化学基礎論担当の教員たちが哲学・倫理学・宗教学・美術史の視点から講義をします。その後、先生方から出された課題に、一年生がグループに分かれて取り組みます。最後に各グループの成果を発表してもらい、参加者全員で議論します。

  日時 2016年9月17日(土)9:00-17:30(8:50開場)
  会場 中央図書館1階多目的ホール

  【午前の部】
   09:00 開会、趣旨説明
   09:10 講義① 髙岡弘幸先生 「幸福をテーマにテレビ番組をつくってみよう」
   09:45 講義② 文化学基礎論担当教員 「最も幸せな人生とはどのようなものか?」
        (小林信行先生、植野健造先生、平井靖史先生、小笠原史樹先生、林誓雄先生)
   10:20 グループ作業に関する説明
    (休憩10分)
   10:35 グループ作業①=課題をめぐる調査、議論、発表準備
    (適宜、昼休み)

  【午後の部】
   12:30 グループ作業②=課題をめぐる調査、議論、発表準備
   14:30 グループ別発表① 15分(発表10分、質疑応答5分)×4
    (休憩15分)
   15:45 グループ別発表② 15分(発表10分、質疑応答5分)×4
   16:45 全体討論
   17:30 閉会

当日は、必ず学生証と筆記用具を持参して下さい。